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普遍なもの

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普遍とは、時代が変わっても、変わらないもの。この言葉に価値観を付けると、解りやすいです。普遍的価値観、ここ数年私が考え続け、大切にしているものです。数年前までは、普遍的価値観の原理主義者みたいな自分がありましたが、最近は、少し脱線しても良い!と考えるようになりました。心の中に遊びが生まれたのでしょうか。
その価値観は、多くありますが、代表的なものとして、愛情・誠実・勇気・正義・主体性・自律・忍耐などがあります。論語や武士道にも書かれていますよ!今の日本において見直さねばならない大切なものと考えています。

さて、今日は、私の中学校時代の恩師の言葉を紹介します。卒業に際しての私たちへのメッセージです。すでに故人ですので、転載のご許可は頂けませんが、お許し頂けると信じます。少し長いです。私が大きな影響を受けた人物のひとりです。40年近く前の言葉ですが、現代を言い当てている文言があります。読んでみて下さい!深ーいです!

写真は、グアム島の夕焼けならぬ曇り焼けです。どこか物悲しく、もののあはれがあると思いません?

別離のことば

 とうとう別れの時が来た。
これで君達と毎日逢えないのかと思うと何となく寂しい。
考えてみると、私は良い学級に巡り逢ったものだ。わずか一年であったけど、こんな愉快な、仲の良い、協力しあう学級を受け持てたことを誰に感謝して良いか解らない。

 とうとう別れの時が来た。
君達の進路はそれぞれ違う。たとえ目標の高校に入れなくても、悔やんだり、自暴自棄になったり、また自分を卑下したりしないようにしてくれ。
 目的の高校に入れなかったという事は能力が無かったことではないんだ。「能力が有ったのに、ただ努力をしなかった」ということなんだ。人が努力している時に自分が遊んでしまったという事なんだ。
長い人生から考えてみると、この程度の時間のロスはすぐ取り返す事ができる。新しい学校生活に入って、目標を持って努力すれば、すぐに取り返す事ができる。
焦らず、倦(う)まず、弛(たゆ)まず、自分を信じて一日一日を最善最美に生きてくれ。自分を大事にし、自分を愛しみ、自分を育てていってくれ。そうすれば遅れたハンディなど、きっと取り返すことができるだろう。
将来「君はどこを出ましたか」と問われるより「君は何ができますか」と問われる時代がきっと来る。いや来なければいけないんだ。この来るべき時代に望みを託して、何か一つ他人に負けないものを身につけてくれ。
過日の新聞に七十才の老人が高校入試に合格したことが報じられてあった。老人は言った「死ぬまで勉強だ、これで大学入試への足掛りができた」と。
私は慄然となった。何という前向きの人生観だろう。これこそ生きているという証だ。素晴らしいものだ。私も負けないぞ、と卒然と我身を振り返った。
そうだ。君達も私もかの老人に負けないよう努力しようではないか。

 とうとう別れの時が来た。
君達は、今日脱皮して新しい真の大人へと変身して行くだろう。しかし内容の伴わない大人の何と多い事よ。
ただ年を経ているだけで大人と言われるのなら何の労苦もいらない。時の経過を待てばいいのだから。
 中国では 智、仁、勇、義、礼、信 の六義の備わった人を大人(ターレン)と呼ぶ。真の大人とは、自己の存在を知り、自分が今、何を為すべきかを知る者にのみ与えられる言葉なのだ。
今日を限りに、君達はかなりの制約を受けずに自由に振まう事ができる。君達を待ち受けている誘惑は多い。それに惑わされず、正しい美しい青春時代を過ごしてほしい。本能の赴くままに行動することほど愚かな事はないではないか。自分が求め、行動する時に、一度振り返って自己を見つめる冷徹な目を持ってほしい。心の中に常に醒めた冷たい自己批判の目を持ってほしい。自分の行動を制御する冷厳な心を育てていってほしい。
 私が今、君達に望むのはこの事だ。

 とうとう別れの時が来た。
君達の将来の途は苦しいだろう。幾度かの挫折があるだろう。
何度も後悔の涙を流す時が来るだろう。
しかし、この涙は君達を育てる涙なのだ。
「あの時、こうすれば良かったのに」と後悔する所に成長があるのだ。
成長のない人間になんで後悔の涙が流せるものか。

 君達よ。
うれしい時や楽しい時、万時順調に行っている時には、すこしも私や母校を想い出さなくてもよい。
 しかし涙溢れた時、後悔に悔やんだ時には遠慮なく私の所に来てほしい。何の力にもなれないかも知れぬ。しかし私には君達にない経験がある。学習がある。何かの役に立つだろうと思う。
たとえ親兄弟に見離されるようなことがあっても、たった一人君達を見捨てないで信じている者のいる事を忘れないでくれ。

 いよいよ別れの時が来た。

 ではいつまでも元気で
 さようなら

 昭和四九年三月十一日

 川端大三 (印)